海人ブログ

本土復帰と沖縄もずく50年の歩み

2022年10月10日

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1972年5月、私は高校一年生でした。

あの当時、海人の父親は、一本釣りや網漁以外にも不定期的に観賞用熱帯魚や天然もずくの漁をしていました。天然もずくを素潜りで採取し塩漬け後に本土へ移送していたのを憶えています。復帰前後、沖縄県では天然もずくを約千㌧から2千㌧採取されていました。主に、本土の旅館や割烹店で高級珍味として消費されていたようです。

太めの沖縄もずくは、本土産の(主に西日本)絹、糸モズクの不作時の代替品でした。

地元沖縄(琉球)では、もずくを食べる人は少なく、冬の1月から3月頃に浅瀬の岩場に自生するアーサ(ヒトエグサ)が朝夕よく食べられていました。

現在の養殖もずくは、沖縄県が奄美大島の養殖技術を研究し1978年頃に養殖技術を確立し、その後、恩納村漁協の海人(漁師)と一緒に養殖生産を始めました。県は、80年代にそな技術を全県に普及させ、もずく生産量をいっきに伸ばしました。84年1600㌧、88年1万㌧、98年の豊作時には2万㌧と生産量を急激に増やしました。。

生産量の増加により、本土の大手海藻加工メーカー(山忠、カネリョウ等)は、沖縄もずくを大量に買い取り、スーパーや百貨店向けにの味付け酢もずくを開発し、大量販売を始めました。今現在も好評で大量消費されてます。

しかし、バブル崩壊後の90年代以降、もずくの消費が落ち込む中、96年に琉球大学の田幸教授がもずくフコイダンの大量精製技術の特許取得をした事でマスコミに取り上げられたり、97年には鳥取県の海産物のきむらやが酢ともずくの相乗効果でo157菌を死滅させる実証実験を島根大学と共同発表され、もずくの良さは全国に認知され、酢もずくの消費は生協や健康食品店にも拡大して行きました。また、もずくフコイダンはサプリメントとして開発販売され新たな消費拡大に繋がりました。

2010年代に入りもずくの消費量は1万5千㌧前後で頭打ち状態になりました。スーパーでの酢もずく消費の限界とメカブとの競合が原因でした。

幸いにも、2011年頃から生もずくの普及と酢もずく以外のモズクレシピの開発普及(もずく味噌汁、てんぷら、雑炊、サラダ、そうめん等)を沖縄県、もずく振興協議会が共同で進めた事で約5千㌧の消費拡大に繋がり約2万㌧近くまで消費量は伸びました。コロナ禍の現在、消費は少し落ちましたが約2万㌧を維持しています。

今後の課題は、海外を含む新たな市場の開拓ともずくの安定生産と増産です。

50年に及ぶ沖縄振興開発の反動(埋め立て、都市開発、農地土地改良、生活排水等)による海の環境汚染や地球温暖化による台風の大型化、集中豪雨の増加にどう対処するか?。

沖縄の豊かな自然と漁業を次世代に引き継ぐ為にも、持続可能な沖縄の農林水産業を官民一体となって進めて行ければと思います。

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